愛と希望の街(1959)

京大時代、学生運動の旗手として鳴らした大島渚は1954年に松竹に入社、大船撮影所で助監督として大庭秀雄や野村芳太郎らにつく。そして、鮮やかな技巧を駆使して新人スター紹介用の短篇映画「明日の太陽」を撮った後、まだ27歳の若さで初の劇場用長編である本作を監督する。生活に困窮する中学生(藤川弘志)が、生きてゆくためにやむを得ずサギまがいのやり方で鳩を売る。級友(富永ユキ)や教師(千野赫子)は、彼に手を差しのべようと努めるが、容赦なき現実の壁が立ちはだかる。社会の偏見や圧力に超然と向き合う少年は、大島映画ならではの人物造型のたまものであり、甘い情緒を遮断するかのごとき潔癖な語り口やヒロインにロカビリー歌手を起用した新鮮なキャスティングなど、後の大島映画の特徴となる要素がすでに出揃っている。当初のシナリオの題名「鳩を売る少年」が会社側の意向で「怒りの街」→「愛と悲しみの街」→「愛と希望の街」に改変させられた逸話もつとに知られる。



青春残酷物語(1960)


ニヒルな大学生(川津祐介)とその彼女(桑野みゆき)が美人局を仕組んで、裕福そうな中年たちから金をまきあげる。こうした非政治的ないらだちに生きる若者像を描きながら、大島は当時流行した「太陽族」ふうの風俗的で気ままな反抗とは一線を画すためのくわだてに出た。それは、この若い男女の先行世代である戦中派の父(浜村淳)、破防法闘争時代の学生運動の闘士である兄姉世代(久我美子、渡辺文雄)の虚無や挫折を対置し、その日和見的で意のままに生きられない大人たちの姿をきめ細かく描いたことだ。これにより主人公のカップルは、ただのいじけた被害者意識から社会にプロテストする若者ではなく、怒りと確信をもって腐った大人たちとは違う生き方を探る人物として造型された。その敗北感にうちひしがれた旧世代への猛烈ないらだちとともに主人公が林檎をまるごとかじり尽くすショットは余りにも印象的で、大島の「暗い油絵的なカラーを」という演出の要請に見事に応えた川又昂のカメラも鮮烈である。



太陽の墓場(1960)


60年安保闘争の盛り上がりとシンクロするかのように公開された「青春残酷物語」のヒットを受けて、松竹は大島に続篇の製作を持ちかけたが、大島がこの機運に乗じて作り上げたのは、大阪・釜ヶ崎のドヤ街を舞台にした騒然たる群衆劇だった。労働者の血を売る連中や愚連隊一派、あやしげな医者にニセの戸籍を売買する男に、デマで儲ける動乱屋・・・最底辺の極限的に貧しい街でしぶとく生きる奇々怪々な人物たちが続々登場するが、大島のまなざしは徹底してハードボイルドで感情移入を排除する。そんな中、スキャンダル女優として知られた炎加代子扮するふてぶてしい少女だけが、この澱みきった状況を蹴散らしながら牝豹のように生き抜こうとする。映画撮影を敢行するにはひじょうに危険と言われた釜ヶ崎で果敢にロケを行った本作は大いに話題を呼んだが、作中で描かれた下層プロレタリアートの暴力の爆発そのままに、公開翌年には釜ヶ崎暴動が発生し、大島は時代を予見する作家と呼ばれるようになる。


日本の夜と霧(1960)


あいつぐ作品の興行的好調に気をよくした松竹は、大島の次回作を待望したが、この状況を最大限に活かした大島は、60年安保闘争を総括し糾弾する前代未聞のディスカッション・ドラマを構想し、これを誰の邪魔も入らぬうちに大胆な長回しをもって短期間で撮りあげた。新旧の学生運動の闘士たちが集う結婚式の会場を舞台に、1950年代初めの破防法闘争、火焔瓶闘争の瀬世代と60年の安保全学連に至るメンバーがお互いの思想的な迷走や封印したい過去の記憶をめぐって痛烈な批判を浴びせ合う。この怒号とアジテーションの連続を、大島は臨場感がはちきれそうな長回しによるワンシーン・ワンカット、もしくは2、3シーン・ワンカットの豪胆な手法で描ききった。大島は雄弁なる全ての登場人物の虚偽を暴き、徹底した断罪を怠らず、真実とは何かという問いかけがスパイラルのようにうねり続ける。なかでもぐらつく党の指針に迎合する変わり身の早い学生指導者に扮した吉沢京夫のシニカルな演技は本作の白眉である。




飼育(1961)


衝撃に満ちた野心作「日本の夜と霧」は、社会党の浅沼稲次郎委員長が右翼少年に刺殺されるという騒然とした社会状況のなかで公開されたが、突如「不入り」を理由に公開中止となった。これには当時の与党筋からの圧力もあったという風説もあるが、このことに激怒した大島は松竹を退社し、以後独立プロでの映画製作にステージを移す。本作は短命であったパレスフィルムのオファーで手がけた、大江健三郎の芥川賞受賞作の映画化である。第二次大戦末期に寒村で捕虜となった黒人の米兵と村人たちの動静を描く本作だが、田村孟の脚本は少年の視点で語られる原作の牧歌的な抒情性をきっぱり排除して、とにかく閉鎖的な村の地主たちと小作人が愚かしく馴れ合い、外部を排除しながら頑迷に権力構造を温存しつづけるさまがあいかわらずの潔癖な視線で断罪されてゆく。黒人兵を演じたヒュー・ハードはジョン・カサヴェテス「アメリカの影」にも出演している。




天草四郎時貞(1962)


「日本の夜と霧」上映中止で松竹を飛び出した大島渚に、東映が持ち込んだ企画は時代劇スターの大川橋蔵の主演作だった。これは東映時代劇のマンネリ化を当代きっての鬼才監督に打破してもらおうという意図であったに違いないが、実に思いきった発想である。そして、そのオファーに応えた大島は、漆黒の闇と怒涛のディスカッションに占められた相当な異色作に打って出て観客を驚かせた。大島は天草四郎の悲劇に、60年安保で敗退した全学連主流派へのシンパシーを仮託してアクチュアルな作品に翻案しようと試み、暗闇で繰り広げられるキリシタンたちの密議も「日本の夜と霧」に連なるディスカッション・ドラマの様相を呈しているが、この尖鋭な意図に対して大川橋蔵や大友柳太朗ら時代劇スターの資質はいかにもちぐはぐなものだった。それゆえに大島も本作はぜひもう一度撮り直したい企画だとたびたび述懐しているが、大島がただならぬ作家的野心を傾注して大がかりな東映時代劇を破格に染め上げた実験作である。



悦楽(1965)


「天草四郎時貞」の興行的不振によって劇場用映画を撮る機会を失った大島は、雌伏三年、「忘れられた皇軍」などの傑作ドキュメンタリーや異色の連続テレビ映画「アジアの曙」などを演出しながら時を待っていたが、自ら主宰する独立プロ・創造社の第一作として企画した山田風太郎原作「棺の中の悦楽」の映画化が松竹の配給で実現することとなった。三千万もの危ない金を預かった平凡なサラリーマン(中村かつお)が、ある日自暴自棄になってその金を使い込んで女たちと悦楽の日々を過ごすことに決める。女から女へさすらう猟色の日々の果てに男がたどりつく皮肉な結末を、大島はブランクを意識させない軽やかなタッチで語ってみせる。大島は尖鋭な技法で映画を解体する作家だと思われがちだったが、時には本作のようなきっちりと完結したコントを好む作家なのである。しかし大島は本作の性的な題材への斬りこみ方を不徹底だとして、その思いが後の「愛のコリーダ」に結実する。




ユンボギの日記(1965)


日本の韓国に対する支配と差別をめぐる批判、それを体現した在日朝鮮人の問題は、60年代の大島作品の大きな主題であったが、日韓国交正常化の年に作られた本作もその系譜に連なる鮮烈な小品である。本作は1964年、大島が韓国を二ヶ月以上にわたって取材中に簡易カメラで撮ってきたおびただしいスナップと、大島がたまたま読んで感じ入った「ユンボギの日記」という十歳の韓国少年の手記とを絡めて、一篇の映画のかたちに構成されている。そのスナップが映すものは韓国のうらぶれた汚い街角や、そこでたくましくガム売りや靴みがきをして生き抜いている貧しい少年たちの姿だ。小松方正のぶっきらぼうでさえあるナレーションを通して、大島は日本の支配が尾を引く韓国の貧しさと悲しみに、しみじみと同情や自戒の念を寄せるのではなく、そこから毅然と踏みだそうとしている韓国人の誇り高さに共鳴と尊敬の言葉を贈っているのであった。本作の手法は、後の「忍者武芸帳」「白昼の通り魔」へと発展してゆく。




白昼の通り魔(1966)


「悦楽」のヒットを受けて性愛路線をオファーされた大島は、武田泰淳の原作をもとに重層的なテーマ設定と冒険的な映画技法をもって鬼気迫る傑作を放ってみせた。佐藤慶扮する連続強姦殺人犯、なぜある山村の農民だった彼はその通称「白昼の通り魔」に変貌したのか。その紐解きの過程はそのまま、戦後民主主義の挫折のクロニクルにつながってゆく。小山明子扮する啓蒙者は、美しい理念を掲げながら、ついにこの極貧の青年を救済できず辱めただけであり、羞恥と被害者意識の権化となった彼は屍姦常習犯に変身した。この奇想天外な田村孟の脚本に、大島映画の美学的牽引者となる戸田重昌の美術が加わり、さらに「日本の夜と霧」の全47カットの対極にある1500カット以上の神経症的なカット分断が、これでもかと知的なスリリングさを膨張させる。こうした幾層もの主題、手法のこだわりに加えて、大島渚の戦後民主主義に対する切なる思い入れの深さが全篇の異様なまでの緊張感と凄みを生んでいる。



忍者武芸帳(1967)


「ユンボギの日記」で試みたスチルを映画作品として再構成する手法を活かして、大島はかつて貸本マンガで刊行され、そのダイナミックなタッチと反権力的なテーゼが当時再評価されていた白土三平の「忍者武芸帳」の映画化を試みた。白土の原画を一枚一枚撮影した本作は恐るべきカット数にのぼったが、大島は効果音も音楽も最低限にとどめ、創造社ゆかりの俳優たちのアフレコによる言葉の強さが張り出す作品に仕上げた。60年代の大島はこうしてサブカルチャーの最前線で異彩を放つ人や題材を好んで作品に引き入れながら、出来あがった作品そのものはまるで風俗的ではなく革命的意志を探る大島の生真面目な姿勢が貫かれている。ただし本作では戸浦六宏演ずる謎の忍者・影丸ら革命戦士の高揚感あふれる台詞も、静かに真摯に彼らの意志を称える小沢昭一のナレーションもいつにない率直さであり、劇画というファンタジーで語る本作にあって大島は実写劇映画よりも心を許して革命への純情を詠ったに違いない。



日本春歌考(1967)


「悦楽」「白昼の通り魔」の興行的好調を受けて、大島は当時カッパブックスで売れていた同名著書からタイトルだけを借り、短期間・低予算でエロスを題材にした作品を撮るということだけを松竹に約束して本作の撮影に突入した。歌手の荒木一郎、串田和美ら若い演劇のホープたちをかきあつめ、撮影と並行してディスカッションしながらシナリオを書き進めるというゲリラ的な現場から生み出された本作は、知的冒険にあふれかえった稀代の異色作となった。きわめて性欲的になっている学生服の男子四人組が、引率の先生(伊丹一三)に代表される先行世代の敗北感にも、ブルジョワの美少女(田島和子)に代表される同世代の偽善ぶりにもいらだちながら、全てを転覆したいアナーキーな衝動を爆発させる。春歌から労働歌から反戦フォークまで、人物たちの意志の応酬がおびただしい歌の数々によって表現されるのも大島作品ならではのことだ。想像強姦と日本民族の騎馬民族起源説が強引な力技で架橋される結末部のスパークぶりは圧巻。



無理心中 日本の夏(1967)


異色作「日本春歌考」は全国的に広がる学生運動の季節を予見した作品と呼ばれたが、続く本作では大島渚ならではの「一種のヤクザ映画」が構想された。といっても、ヤクザめいた人物たちは続々と登場するが、60年代当時に支持されていたヤクザ映画の構造はなく、また表現としても当時人気を博したサイケデリックな、もしくは前衛演劇的な意匠が踏まえられているが、出来あがった作品そのものはそういった60年代的なカウンターカルチャーの定番に快くおさまるようなものではなかった。いらいらと社会を転倒させたいアウトローたちが集うが、いかんともし難い不能感がはびこり、彼らはやむなく破壊衝動や怨念を無理やり奮い立たせようとしながら、虚しい戯画的なカタストロフへとなだれこむ。作劇から美術まで、やや得体の知れない抽象度が求められ、鈍い違和感、玄妙なるいびつさによってわかりやすい様式化、通俗化をすり抜ける大島ならではのタッチが定着している。



絞死刑(1968)


実際の事件に取材した本作は、死刑制度の是非について痛烈に問いかける戯画的作品である。強姦殺人を犯して死刑宣告された在日朝鮮人の青年Rは、刑を執行されるもその肉体が死刑を受け入れない。そこで執行の立会人である刑務所の所長や教育部長、保安課長ら皆が必死でRの生い立ちや犯罪に至るまでを再現して、彼に罪の意識を持たせ、納得のうえで刑を再執行しようと試みる。爆笑のブラックユーモアが連続する前半、Rの内省が深まり大島作品らしい混沌が召喚される後半を経て、大島ははたして犯罪者を深慮も確信もなく殺そうとしている国家とは何かという問いに行きつく。本作はATGの「一千万映画」として立ち上がったが、低予算を逆手にとり廃館になった映画館を利用して、実際の死刑場をリアルに再現しようとこだわったセットは異様な迫力を帯びている。本作はカンヌ映画祭の監督週間で上映され、大島の国際的評価の皮切りとなった。



帰って来たヨッパライ(1968)

67年、無名のバンド、フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が戦後最大のヒットとなったが、これにあやかった同名映画の製作にあたり、フォーク・クルセダーズ側から大島に監督の依頼があった。内容に関しては大島側に任せるということだったが、大島はこの機会を最大限に活かして極めて革新的な作品を実現させた。卒業旅行中の大学生三人組(フォーク・クルセダーズ)が、ベトナム行きを拒否して密航してきた韓国の脱走兵と服を取り替えられてしまったことで起こる不条理劇なのだが、実に途中から物語が最初にリセットしてもう一度微妙なずれをはらみながらそっくり語り直される。この破格の構成を通して、大島は戦争を知らない世代の無関心な若者が、他人事のように思っていた韓国やベトナムの同胞の悲劇をわがこととして体験するという寓意に満ちたファンタジーを作り上げた。大島の決まり過ぎない奇妙な抽象化を貫く演出が、全篇に特異な味わいを醸している。



新宿泥棒日記(1969)


60年代のアンダーグラウンド文化の最前線と交流しながら、きっぱりと流行や風俗とは切れた独自の映画世界を構築していた大島が、横尾忠則、唐十郎と状況劇場、田辺茂一と紀伊国屋書店などの「新宿文化」と切り結びながら、ドキュメンタリーとフィクションを往還する破格の構成を通して「性と革命」を思考した奇篇。性的な愉悦を見いだせないカップル(横尾、横山リエ)が創造社の常連俳優たちや新宿ゆかりの文化人たちの手ほどきを請いながら、唐十郎の状況劇場のテントに乱入して由比正雪を演じたりするうちに性の成就に至り、折しも街では激しいデモや投石が始まる。大島は、騒然とした当時の新宿のエネルギーを随所にすくい取りながら、本作を革命をめぐるメルヒェンのごとき作品に仕上げた。



少年(1969)


「愛と希望の街」以来、犯罪と少年は大島作品の主要なモチーフであり続けたが、親子の当たり屋という実話に想を得た本作は、その系譜の頂点をなす作品である。主役の少年に施設にいた素人の子どもを起用、しかも低予算のオールロケで旅をしながら撮影するという未知数だらけの撮影であったにもかかわらず、映画的な恩寵に満ちた傑作に仕上がった。十歳の少年、三歳の弟、ニヒルな傷痍軍人の父(渡辺文雄)、意地悪な継母(小山明子)の一家が、警察の目をかいくぐるように九州から北海道まで日本を縦断しながら、当たり屋稼業を繰り返す。これ以下はない酷薄な状況のもとで、少年は子どもらしい美しい夢を見ることもあるが、生きてゆくために毅然と犯罪者としての自分を引き受ける。玄妙な抽象性を貫き、目をあいて見る夢のごとき時空感覚で語られてゆく本作で、大島の映画話法は戦慄的な高みに達しており、後半の小樽での雪のシークエンスは特異な抒情とともに大島の怒りと悲しみが迸る。



東京
争戦後秘話(1970)


一作一作が全て似ていない、常に新たな創造性をもって生み出されてきた大島作品だが、本作は当時草月のフィルム・アート・フェスティバルで注目された原正孝(のちの将人)をはじめとする高校生の自主製作映画グループと組んで製作した異色作である。「東京戦争」という武装蜂起も虚構と化し、一気に新左翼運動が活力を失っていったこの時期に、とある映画制作グループの高校生が「映画で遺書を残して死んだ男」にとりつかれる。彼がその映画=遺書を追いかけると、なにげない風景のなかに国家の制度、国家の幻想がしみついていることが見えてくる。この風景が秘める圧力を暴きだそうという高校生たちの奇想を、大島はごく真摯に受けて立っている。生硬で観念的な部分も多く、大島作品のなかでも際立って難解な作品であはあるが、ボルヘス的な虚実の迷宮にはまった高校生を描く大島の半覚醒的な語りは、きわめて魅力的な幻視のはだざわりを描きだしている。



儀式(1971)


70年の三島由紀夫事件のおよそ半年後に公開された本作だが、事件との符合を感じさせる部分も多い、大島による戦後日本の総括と呼ぶべき重厚にして野心的な作品である。満州事変の頃、豪閥の家系に生まれた満州男(河原崎建三)が戦後のさまざまな冠婚葬祭の「儀式」に立ち会い、さまざまな親類縁者たちと絡み合いながら、悶々と自らのありようについて問いかけ続ける物語。絶対権力を誇示する当主(佐藤慶)のもとには妻(乙羽信子)のほか妾やその子どもたちなどいわくありげな縁者が勢ぞろいし、右翼も左翼もごろごろと馴れ合いながらたむろしている。この戦後日本の縮図ともいうべき腐った状況に嘆息しながら、生ける屍のごとき人生を過ごす満州男に対し、ある殺気をもってこの状況を全否定しつつ決然と死んでゆく輝道(中村敦夫)という三島的キャラクターが異彩を放つ。シニカルな自己批判と暗澹たるニヒリズムをたたえた本作は、71年度キネマ旬報ベスト・テン第一位ほか数々の映画賞を獲得した。



夏の妹(1972)


72年の沖縄返還というアクチュアルな題材をとりあげ、沖縄でのオールロケで制作された本作は、ひとりの少女(栗田ひろみ)と彼女の兄らしき青年(石橋正次)、彼らをとりまく大人たちの動静を追いながら、日本と沖縄の関係を再考察する異色作。「儀式」で右翼も左翼も微温湯的な平和のなかで殺気を失って馴れあっている状況を描いた大島は、本作では日本人と琉球人がアメリカ統治下の四半世紀を経てほどよく野合している状況をニヒルに描き出している。ただし「儀式」の重苦しい悲壮さに対し、大島はウイットや軽やかさをもって恋愛寓話のように本作を撮りあげた。終盤に登場人物たちが集う甘美だが生気のない光景は、その後現在まで続く日本の状況を占うようでもあり、大島は本作をもって同時代に映画のモチーフを探ることをやめる。さらに大島は、12年にわたって営んできた独立プロ・創造社を解散、新たな映画制作のかたちへと出帆することになる。



愛のコリーダ(1976)


アラン・レネやヴェンダースの作品のプロデューサーとして知られるフランスのアナトール・ドーマンのオファーを受けた大島は、阿部定事件をモチーフに性愛を核にした作品を構想するが、かつて「悦楽」がこうむった検閲を免れるために、フランスから輸入したフィルムをもって京都で撮影を行い、さらに撮影済みの生フィルムをフランスに送り返して現像・編集するというアイディアをもって本作を完成させた。こうした話題ゆえに、本作は日本初のハードコア・ポルノとしてセンセーショナルな風評を呼んだが、作品の実際は性に耽溺する定(松田英子)と吉蔵(藤竜也)の二人の世界を、官能の寿ぎの向こうにしのびよる死の影までを含めて描破した、静謐にして一種荘厳な作品である。カンヌ映画祭をはじめ大島の国際的な評価は熱烈に高まったが、日本では長く無残に修正された版しか公開されず、さらにシナリオ本が警視庁によって摘発され、大島は「愛のコリーダ」裁判を闘うことになるが、82年に東京高裁で無罪が確定した。



愛の亡霊(1978)


「愛のコリーダ」をめぐるスキャンダラスな騒ぎの後で、アナトール・ドーマンから続篇的作品を請われた大島は仏題「官能の帝国」の「愛のコリーダ」に対し、「情熱の帝国」と題された本作を発表するが、そのたたずまいは真逆の静けさに満ちたものである。都市部の町人文化の延長にある性愛を描いた「愛のコリーダ」に対し、本作ではかつて開放的な性文化があった農村を舞台にして、これが明治以降の富国強兵策のもと「猥褻」なものとして禁圧され始めた時代を描いた。日清戦争の帰還兵である青年(藤竜也)が、貧しい農村で車屋を営む男(田村高廣)の若々しい妻(吉行和子)と情交を持ち、ついに夫を殺す。遺体を井戸に沈めたものの罪の発覚におびえ続ける二人のもとに、夫が亡霊となって姿を現す・・。美しくも残酷な童話を語るように、大島は性の愛と美に惑溺し、破滅してゆく男女の姿を描いた。本作の芸術的貢献により、大島は1978年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。



戦場のメリークリスマス(1983)


ジャワの日本軍捕虜収容所を舞台にしたローレンス・ヴァン・デル・ポストの小説「影の獄にて」の映画化を構想した大島は、イギリスの若手プロデューサー、ジェレミー・トーマスと組み、ニュージーランド領ラロトンガ島で撮影を敢行して本作の完成にこぎつけたが、衝突する日英の軍人をデヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしという異色のキャストが演じて騒然たる話題を呼んだ。本作で描かれるのは日本軍と西洋人の捕虜をめぐるさまざまな摩擦や葛藤であるが、決してそれは文化的な対立といったものに要約されるものではなく、登場する全ての人物たちが各々の国家を背負いながらも、あくまで個人の思いやトラウマを抱えながら揺らいでいる。それでもなお不自由さのくびきに囚われてしまう人々が愛によって解放される奇跡の瞬間を、実に特異なイメージの連鎖によって描き上げた異形の大作である。坂本龍一の手になるサウンドトラックは余りにも有名であり、興行的にも大ヒットを記録した。



マックス、モン・アムール(1986)


ブニュエル作品の製作で知られるセルジュ・シルベルマンがプロデュースした本作は、やはりブニュエル作品の脚本で鳴らしたジャン=クロード・カリエールが大島と共同でシナリオを手がけ、ゴダール作品のカメラマン、ラウール・クタールが撮影、リック・ベイカーがSFXを、モーリス・ビンダーがタイトルデザインを担当したという稀代の異色なスタッフィングのもと、全篇フランスでの撮影を経て完成した傑作である。在仏の英国大使館員(アンソニー・ヒギンズ)が妻(シャーロット・ランプリング)が浮気をしている疑いを持ち、その現場をおさえると妻は実にチンパンジーのマックスと同衾していた・・・。理解不能なチンパンジーとの愛に生きる妻を、夫ははたして全許容できるのか。大島は奇想天外な寓話を通して、人が自由であることの困難さとその自由を圧殺しようとする権力を描き出す。そして大島の身上とするエッセンスをつかみとるような語りは洗練を極め、本作を緻密にして自在な哲学的コントに仕上げている。



御法度(1999)


90年代の大島は20世紀初頭のハリウッドを舞台に、早川雪州とルドルフ・バレンチノを主人公にした異色の国際的大作「ハリウッド・ゼン」を構想するも撮影直前に中止となり、96年には脳出血に倒れて闘病生活が始まるなど波瀾が相次いだが、99年に奇跡的な復活をとげて監督したのが本作である。「愛のコリーダ」の助監督であった崔洋一や「戦場のメリークリスマス」のビートたけし、坂本龍一らゆかりのメンバーに頼もしく支えられながら、大島は司馬遼太郎の原作「新選組血風録」所収の二話をもとに、幕末の鉄の規律でまとまっていた新選組に美少年の剣士(松田龍平)が入隊したことで組が動揺するという特異な物語を構想。久々の時代劇を時にはサイレント映画的な温故知新のテクニックさえ動員して語ってみせる大島の映画話法は、軽快なウィットと殺気じみた緊張を泰然と行き来して特異な風格をみなぎらせる。性と権力と少年という大島映画のモチーフの集大成ともいうべき本作で大島は不死鳥のごとく蘇った。

(作品解説 樋口尚文)